ザハ・ハディド考 Ⅱ


東京オリンピックに合わせて新設する国立競技場のコンペに優勝したのがザハ・ハディドであった。
その流麗なデザインに心躍らせた人々も多かったに違いない。少なくとも私はその一人だ。

しかし残念ながら経費の問題、技術の問題、そして環境の問題等で取り消しとなったのは日本人なら皆知っている。
経費削減のため、いったんザハ側は修正案を提示して来た。それは要請に従ったものであったろう。第一案を縮小した印象で、伸びやかさが失われていた。
結果、それでもOKが出なくて、日本人建築家によって代替されたことも記憶に新しい。

 Ⅰで記したように、大きな建築物は完成したあと、市民に愛される必要がある。そこで初めて命が輝くのだ。そして歴史的継承権が得られる。
そう考えると、ザハのデザインは実現しなくて良かったのかもしれない。
個人的には、ザハの傑作を目の当たりにしたかった。
でも、それが市民の憎悪の対象となってしまうのは忍びない。
維持管理費でも相当額となるのが予想され、すぐに取り壊されるか、お荷物となってしまうか、どちらかであったろう。
 当時の日本の論調は、ザハデザインに対して嘲笑を浴びせるようなものだった。
「お金がかかり過ぎる」「無用の長物」「アンビルドの女王で、へんてこりんなものばかりデザインする」「周囲の環境を破壊する」「掃除が大変そうだ」「誰がこんなものを選んだ?」「責任者出てこい!」「安藤忠雄が審査委員長?何考えてるんだ!」といった塩梅で、世論は怒りに満ち満ちていた。
そのような批判的な雰囲気の中でザハの作品が建っても、マスコミを中心とした、ほとんど嫌がらせのような攻撃に晒され続けたであろう。
少なくともザハのイメージを評価する、或いは擁護する声はあまりに小さかった。

であるからに、結果として、ザハ・ハディドの競技場は日本には相性が悪すぎたし、建たなくて良かったと思う。

 日本は隈研吾や谷口吉生のような地味で楚々とした建物を売りにすると良い。
昨今、日本は不況が長引いて、国際的なコンペで派手に設計案を募る大型建築が減っているという。
日本人建築家が地味に建てているイメージ。
そこには国際的トレンドから離れた、いわゆる“ガラパゴス化”を指摘する向きもある。
それはそれで他の国には無い景観美を促進させ、日本の魅力として欲しい。
浮世絵がガラパゴス化の究極が産んだ日本のオリジナルアートであったように。
(ちなみに建築におけるノーベル賞とも称されるプリツカー賞の国別受賞者において、我が日本は8名を輩出していて、アメリカと並んで世界一となっている。【2021年現在】)
(ゆえに、日本人建築家の優秀さをもって、日本の都市をどんどん魅力的なものにして行って欲しい。)

↑ 谷口吉生 法隆寺宝物館(東京国立博物館)

そしてザハ・ハディド。
彼女のデザインはは日本には派手過ぎるかもしれない。ザハ建築は、お金のある中国に任せて、中国観光の楽しみにしよう。