いろいろ多忙で更新が滞っております・・・。
m(_ _)m
ということで、芸術の秋ですね☆
と言うよりも、もう冬が来てしまった感じです・・。
去る9月1日から17日まで、上野の東京都美術館で開催された第56回主体美術展。
当研究所から、お二人の関係者が出品されました。
まずお一人目
細矢恵美子さん 『私の名で閉じ込めてあるもの』 F120号
絵もすごく物語っていますが、タイトルも哲学的ですね。
名前というものは面白いもので、プラス面では、自覚が生まれる、意味や願いを叶えようと能動的になる、などの利点があります。
ネットの掲示板などでは、匿名において言いたい放題となり、相手を傷つけたりして社会問題化している昨今、名前の持つ【責任性】は重要です。
しかしながら名前を持つことで自らの内部を抑圧したりもします。
そもそも人間とは不条理な存在なので、全てを名前のもとに整理なんて出来ないわけです。
細矢さんは、ご自分の内面と常に対話をし、名状しがたい内部のもろもろをすくい取ろうとしている作家さんです。
ただ、この画面を見ていると、個人の内面にとどまらないような気がします。
細矢さんの生きてきた人生にとどまらない・・・。
つまり仏教的に言うと阿頼耶識です。
南都六宗における法相宗はインドから伝わった唯識を追求する学問的宗派です。
学問的、と言っても仏教ですから、実践を通して悟りを目指すことは当然です。
そして彼らの悟りとは、この【阿頼耶識を変革すること】となります。
阿頼耶識とは自我を超えて輪廻転生する本性のことですね。
細矢さんの【絵を描くという行為】は、そうした深い領域に関係しているような気がしてなりません。
そうしてこの絵を見る人も、自分の深い深層心理に何かを残すことになると思います。
言葉にならなくても、じっくりと対話したい絵ですね。
お次は井上雅仁さん 『Virtue and Vice of the Hybrid-Verse』 194×324cm
今回この絵で秀作賞を取り、見事会員推挙となりました。
まずはおめでとうございます☆
さらに言いますと、横浜美術協会展=ハマ展、においても協会大賞=最高賞を獲得されました!
本当におめでとうございます!!!
難解なタイトルを直訳すると、『ハイブリッドの美徳と悪徳-詩』となります。
そしてハイブリッドとは、生物学で、異なる種類・品種の動物・植物を人工的にかけ合わせてできた交雑種、という意味となるようです。
おそらく左側が美徳を表し、右側が悪徳を表しているのでしょう。
私が勝手に解釈するに、井上さんは素直にご自分の好きなもの、愛するものをまずは描いているのだと思います。
美しい女性や愛犬、そしてメカニックなものなどです。
しかしながら、自分がとても愛するがゆえ、それが失われた時や離反した時などには、また大きな反動が自分に襲いかかります。
人間というものは、何にも執着していなければ、何を失ってもどうってことありません。
それが自分の命であったとしても・・・。
しかし人間は愛するものです。
誰かを愛し、何かを愛する。
それが深れば深いほど、いつかはそれらと別れなければならない苦しみに苛まれます。
そうした葛藤を絵で表現しているのだと思います。
美徳の塊と悪徳の塊の境には、暗いモノクロームで多くの人々が格闘しています。
よく見ると一番上の人間は天に両手をかざして救いを求めているようです。
その先にいったい何があるのか?
神か仏か、あるいは・・・・・。
いずれにしても、超大作であり、会場でもそのド迫力で”超”目立ってました!
10月にはこれも上野の東京都美術館にて、第47回美術の祭典・東京展が開催されました。
当研究所からは私と含めて3人の関係者が出展しました。
ツクダトモエさん 『UTSUROI』 染織作品
小さい作品では、佃さんの蝶々は見たことがあります。
しかし今回は画面に大きく一匹の蝶々が止まっています。
いったん上に上がろうとして、それからすぐに左下に下降。さらに右下に降りようとしています。
蝶は飛ぶもの、という固定観念がありますが、この蝶は歩いていますね。
蝶は【変身】のメタファーでもありましょう。
万華鏡のようなこの世にあって、あとはゆっくり次なる人生に思いを馳せている、そんな状況かもしれません。
これからの10年、20年、そしてもっと長い期間、出会いは用意されています。
その出会いは必然であり、意味のあるものです。
苦しいこともあるでしょうが、出会いの意味が分かれば、その全てが喜びとなります。
そうした、佃さんにとってのこれからが作品にどう反映されていくのか?私は注意深く見守りたいと思います。
それは私にとっての喜びでもあります。
この作品に関して言いますと、明暗計画、色彩計画がシンプルながらもよく推敲されていて、とても美しいと思います。
次にご紹介するのは私の大学同期生であった熊谷宗一さんです。
私が10年前にインドに行っていた時に、教室にて代わりの指導をしてもらっていたこともありました。
今回は東京展特別企画である『東京展EYES』の招待作家として出品してもらいました。
最近は主に鉛筆を使った稠密な作品を発表しています。
支持体は時に羊皮紙だったりして、その素材の拘りは半端ありません。
もちろん鉛筆にしても手に入る、ありとあらゆる鉛筆を試しているそうです。
内容的には無意識の世界を探求しているように感じられます。
そもそも美術というものは、【目に見えないものをビジュアル化するもの】です。
目に見える通り描いたら、それは表現ではなくて、再現になります。
やはりアートは【表現】であるべきです。
しかしながら熊谷氏の【普段は見えない世界】はとてつもなく複雑で魅力的です。
彼の眼(まなこ)は特別製で、誰にも見えない世界が厳然と見えるのだと思います。
もの凄い才能ですね。
その証拠に、美術の窓12月号の展評に掲載されました☆
出たばかりなので、書店に行けば見れると思います。(P322です。)
今回優秀揃いのEYES企画作家8名の中でも2名しか載っていません。
窓さんの目の付け所は正しいと思います!
最後に私の作品を紹介させていただきます。
田所一紘 『玄中寺』 約500号 と『玄中寺塔頭の山門』
寺院シリーズ第5弾となるは中国・太原にある古刹=玄中寺です。
なぜ玄中寺かと言いいますと、浄土真宗七高僧のうち、中国人である、曇鸞・道綽・善導が住まわれていたお寺だからです。
画面右下に彼らの名前がありますが、この筆跡は親鸞聖人の直筆の書体を借りました。
名札のように見えますが、石碑のイメージですね。
実際一昨年に取材に行ったのですが、一番古いものはやはり石碑なのです。
石碑が一番残ります。
あとはどうしても新しい。
一番古い建物で、明の時代だそうです。
だから私の絵では、かなり新しい建造物の合成となっています。
ただ、相変わらず山深い風景は往時とそう変わらないでしょう。
その断崖のような形も上部に取り入れて構成してみました。
このシリーズは寺院へのリスペクトとともに【その後の解体と発展】みたいなイメージを盛り込むことにコンセプトがあります。
屋根飾りのライオンの上部が破損している部分に、その意味合いを込めたつもりです。
あまり激越なことはどうしても出来ません・・・。
そしてシンメトリーとアンシンメトリーのせめぎ合いを構成の大きなポイントとしてエスキースしました。
そのあたりが一番の見どころになっているのではないか、と自画自賛させていただきます。笑
今現在は法隆寺に取り掛かっています。
コロナの関係で韓国に取材に行けなかったからです。
なので、あと残るは、
韓国のお寺=ひとつ
延暦寺
本願寺
横須賀の長願寺
という流れとなります。(とりあえず全10ヵ寺、という計画なのです。)
どうぞ末永くお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。